2018年、転機

それはね、はじめたばかりの頃はガムシャラに撮りましたよ。
自分の特性もわからなかったし、カメラを早く使いこなしたかったから。

ストロボを使い始めて、逆に自然光をはじめとして光を意識するようになって。
意のままにコントロールして撮れるところ、力技で撮れるところ、全く撮れないところ。
そういうのが逆にわかってきて、無闇やたらにはシャッターを押さなくなりました。

環境もそうだし、気持ちの面でもいろいろな要素が組み合わさって「機」というのが存在するのかなとも思うようになりました。

はじめは自己満足でした。今でもそうかもしれません。
でも、見せる相手のことを気にするようになった。
被写体本人かもしれないし、被写体のファンかもしれないし、全く知らない第三者かもしれないし、具体的に誰ということではないのだけども、自分以外から気に入られたいという想いは撮影を重ねるたびに大きくなりました。

ただ、自己満足というのは、無責任で奔放なものではなく、「自分の写真は自分がいちばん好きでありたい」ということなんです。

「撮りたいものがある」≒「伝えたいことがある」という風に気持ちの上でも変化してきました。
「タイミング同調」「タイミング外し」。
何でも音楽に例える語彙力のなさは申し訳ないところなのですが、「前ノリ」「後ノリ」「走り」「タメ」「グルーヴ感」というのは、撮影そのもの(短期)もそうだし、コンセプト立案(中期)、モデルとの関わり方(長期)においてもやはり存在しているわけで。

波長は一定ではない。

撮れないときは本当に撮れないんですよ。例え時間があっても。
機材、物理的なコスト、環境、気持ち…何かがノリきれていない。
商用カメラマンではないので、義務は無きに等しいですが、それでも撮って欲しいという相手がいれば、できるだけ期待以上に撮ってあげたいし、逆にそのイメージを裏切ることもある。

そういう気持ちはモチベーションとはまた別のところにあるんですね。
(モチベーション自体は常に上を向いていますから)

万全を期してと思っても、なかなか100%満足のいく状態にはなりません。
それでも近づける努力はします。

そういう葛藤の中で搾り出されたものだということ。

逆に撮れるときは何やってもそれなりにハマるときもあります(笑)

だから自分に撮られる機会があったら聞いてください。「ノッてる?」とw