レイヤー合成 - 虚構と演出・撮影スタイル
ドジっ娘です pic.twitter.com/ZtwgXKCFb5
— 北出彩 (@ktdsai) December 31, 2017
先日の北出彩さんの個撮で初めて同アングルの「レイヤー合成」というものにチャレンジしました。
実際の個撮写真はこちらにまとめてあります → 「 フルーティー♡ さい ( 北出彩 ) | 2017撮り納め個撮 」
後付的なものではなく、最初から合成前提でPCを持ち込み、テザー撮影しつつ、その場でPhotoshopで簡易合成しながら構図・位置を確認しながらの撮影でした。
まぁ、、、こと合成とか、親の敵のように否定する方もいますよねw
SNS等で発言を見てても、「加工」「合成」には、まずいいイメージはない(苦笑)
その人たちが言ってるのは「一発撮りでこその写真だろうが」ってことで、突き詰めれば、加工云々のことだと思うんですが、それは一発撮りだろうが合成だろうがレタッチというひと手間を加えている時点でも発生することなので全くの愚問ですし、カメラやストロボの露出でおかしなセッティングで撮影して、そのリカバーをしたり。広義に渡る言葉であるだけに、誤解を受けやすいところだと思います。
合成をデジタルならではの害悪のようにも言われますが、古くはフィルム時代から覆い焼きや焼きこみ、多重露出なども演出効果として行われていたわけですし、これも的外れ。
ここで大事なのは合成なのか否かという方法論じゃなくて、そこに作為的な演出の意図や意識があるのかどうなのか。ごまかしで加えている処理ではないということ。
自分的には以前からネタとして行っていた、いわゆるクソコラのノウハウが活かされてるのは間違いないですが(笑)、パーツごとにあらかじめ別環境で撮影されたものを無理やり結合しているのではなく、同構図でシーンとして別撮りしている点で全く感覚は違います。
文学論で「虚実」という言葉があります。そのまま「虚構と事実」。
事実に則したドキュメンタリー番組などでもよりエピソードを彩るために一部フィクション的な内容を盛り込んだりすることがありますよね。
主旨を目立たせるために嘘をつく。
自分の場合、こういった仕掛けに気付いたときに「ああ!なるほど!」という感動を覚えることが多いです。そして、それを掘り下げたくなる。
事実は、厳密にはその場所・その一瞬でしか起こりえないことですが、虚構(演出)を交えることでそれを再現することができる。
私はカメラマニアでも芸術家でも何でもなく、元来、娯楽として、1つの画として出来上がった写真や絵を見るのが好きなだけ。
持ってるイメージを形にするにはどうしたら良いのかって、自分なりに調べたり、身をもって試したりした結果がそのときどきの写真。
今後も手段には拘らず、もっと面白いことをやっていきたいな~と思いました。