リアル≠リアリティ
お断り:絶対的なものではなく、好みや表現手法としてのひとつの話ですので、誤解なくお願いします。
先日、とあるモデルさんと話をしていて、「自然光が好き」「(当方の)写真の自然っぽさが好き」というお話をいただきました。そういう見方をしてくれてる方がいるのはありがたいですね(^^)
ただ、面白いことに、私、よほど環境が整っていないとメイン被写体に自然光は使いません(笑)
よくよく話をヒアリングしていくと、自然光=「リアル」ということではなく、それが「リアリティ」のことを指しているのではないのかなと思いました。
つまりは、フィクションの上で成り立っている「本物っぽさ」なんですね。
客観的に見た自分。ドラマのヒロインなんかと同じわけです。
現実としてリアルに存在しているものに「本物っぽい」などとは言いませんし←
さて、根本的なところで、カメラとは何ぞやと言うと、被写体に光が当たって反射した造形や色を記録する機械であります。なので、カメラそのものの描写よりも、如何に光の環境を作りこむかの方がよほど重要という考え方はずっと変わっていません。
もちろん、自然光を使っても、人工光源でも、その併せ技でも。
ですが、多数のカメラマンが撮っている撮影会等の場では制限や障害があります。立地(光の差し込む方向)や、スタジオの物理的な広さなど。
しかし、何より撮影を難しくしているのは室内の蛍光灯や濃い色のスタジオセットからの反射光なのではないかと。
人間の目や脳は優秀で、目の前にあるものが最上に美しいと捉えますし、それも間違いではありません。それを見たまま写せることが至上だと考える方もいます。
が、残念ながら、カメラにはそうは写りません。
環境光だけに頼ると、周辺の反射光もろとも色かぶりとして写ってしまう。
ここが多くのカメラマンが苦悩するところで、撮った写真を見て首を捻ってしまうところなんですね。
カメラ自体のセッティングでイメージに近づけることはできます。
しかし、照明を自在に扱える方が格段に表現幅や安定性の面においてアドバンテージがあるわけです。
あとは、部屋全体を真っ白にするか(そういう場所はあります)←
自然光はひとまず置いておいて、補助として使う追加照明の役割とは何なのでしょう?
1.「明るく照らすため」→露出をコントロール
2.「立体感を出すため」→陰影・階調感をコントロール
1は多くの方が知っていることですし、ストロボ等を購入する最初の動機でもあるかと思います。
オフカメラでのライティングを使いだすと、2を意識しだします。
私もそうでした。多灯であればより細かいコントロールができますが、1灯増えるたびに各灯で調整がより繊細になります。もちろん、慣れてないと配分が難しいですが、そこは練習あるのみ←
が、それ以上に脳内イメージに近いリアリティを出すのに重要なのは…
3.「色を分離させるため」→環境光との色かぶりを打ち消し
だと思うのです。
下記、カメラもモデルも異なる上、1年の時間経過があるので、比較対象になるかどうか???ですが、自然光で撮った写真と、被写体にストロボを焚いて撮った写真です。
イメージとしてある「自然」に戻す演出をわざわざ行っているわけですね。
他にも様々な要因はありますが、これが、冒頭で話した「本物っぽさ」のかなりの比重を占めている部分ではないのかなと。
ちなみに、緑かぶりを打ち消すには現像時に反対色であるマゼンタを持ち上げればいいのですが、今度は周りの木々が毒々しい枯れ木になりますw
また、写真のフレームの中に情報を収めるという制約がある以上、「自然」なイメージに戻すのもひとつのデフォルメではあるのですが、さらに攻め込んでもっと大げさにデフォルメすることもできます。
たとえば、コスプレイヤーの方のスタジオ写真とか、完全にブラックボックスを作った上でストロボだけで描写していく、一見CGかと見紛うほどに非現実に踏み込んだ感じ。同じアマチュアでもやはり多灯の使い方が先進的ですよね。(こちらも好き嫌いがあることはじゅうぶん存じております)
ですが、やっていることは同じ。
どこの明かりを上げて、どこの明かりを下げて、被写体をどう見せるのか、照明の届かない背景露出をどうコントロールするのか。
光が直線的でいて強ければ、ハイライトは際立ち、影も濃くなり、全体としてコントラストも上がります。メリハリの高い…言い換えれば硬い描写になりますし、ほぼ比例してビビッドさも上がります。
柔らかい描写をしたい場合には相応に光を調節したり、ディフューザーなどのアクセサリで光源面積を稼いで拡散光にしたりと…それはまた別の話なので、またの機会に。
ただ、光の扱い一つとっても、コンセプトに応じた見せ方があるという実証だと思いますし、また、表現幅の広さを伺える事例でもあると思いますし、さじ加減の難しいところだとも思います。
逆に言うと、撮り方はシチュエーションに応じたものであり、一律ではないということ。
コントロール下に置けた段階で、それをどういう風に活用していくのか、ここに作品の個性が生まれてくるのではないかと思います。
これを鑑賞する第三者に「良い」と感じていただけることを前提に、自分らしさをどれだけ盛り込めるのかとは常々考えています。が、得手不得手はあれども、対応できる引き出しは多いにこしたことはないのではないかと。いろいろ試してみたいですね。
最後に。照明は華美な演出にも使えますし、盛る道具だと思われがちですが、それよりも「リアリティ」に対して足りない部分を補うものではないかと。
数多ある要素の一つでしかありませんが、当方が大事に考えているところです。
なので、リアルなものがイコール自然であるという考えには疑問符が点灯するのです。
心情的にはわかりますけどね。表情とか仕草とか。
が、そういうモデルの頑張りを出来る限り上手に拾い上げる撮り手側の努力っていうのも大事なんじゃないのかな~と。
どうせなら、みんなで幸せな気持ちになれる写真を残したいと思った今日この頃です^^